あなた

1974年のヒット曲。ヒットした割には、歌い手のルックスがどうだとか、歌詞が用地だとか。結構散々言われていたような気がする。

でも、私には特別な思いがある。2019年現在もまだあると思う東京早稲田の「清和病院」いわゆる当時の精神病院だが、私は親と教師への服従に耐え切れず、暴れて家のものを壊し、学校にもいかなくなった。今は、色々なケア施設があるが、当時は「精神病院まっしぐら」だったのでさる。

突然、ほぼ騙された形で、入院させられ、暴れる私をベッドに手足を縛りつけた。何も出来ないので、当時東京医科の勤務医だった、渡辺という人の顔につばをはきかけた。縛り付けられてますから。そしたら、渡辺医師は、抵抗の出来ない私のほほに、思いっきり平手打ちを食らわせ、精神安易剤を「先生、大人の分量超えてますが。。」と看護婦が言うほど投与されたので去る。これらは全部事実。

中学2年生、病院でしていたことといえば、確か5階くらいの屋上から、金網越しに「おうちに帰りたいよ。」「学校に帰りたいよ。」と、勝手に自分で方角を決めて、ずっと涙していた。それを見た看護婦さんも泣いていたように思う。

そして、小学校の時に得意だったリコーダーをずっと吹いていた。

何も具合が悪い人ばかりがいるところではなかった、夕方から夜にかけて、テーブルを囲んで患者が集まるのは毎日だった。その時にこの「あなた」を歌ってくれたのが、確かKさんという大学生くらいの女性。それで初めてこの曲を聞いた。痩せ型で美人で、若い男性の見舞い客も結構いたように思う。

もう45年も前のこと。今思えば「可哀想な男の子がいた」と思う。私の歳を考えると、Kさんはそろそろおばあちゃんの域なのかな。少し遅くに井海さんというひとが、会社から返ってきて、話してくれる話は面白かった。中学生の私ごときの話も聞いていただいたように思う。

あの頃見たうちの何人かは既に亡くなっていると思う。でも、当時中学2年生の私の思い出は消えることはない。「あなた」を最初に聞いたのがKさんのギター弾き語りだったので、オリジナルを聞いて、そして、聞けば聞くほどKさんの歌声を忘れてしまう私が悲しかった。

こういう、ひとりだけの思い出って。。。そこの患者や職員と知り合いになるわけでもなし。親が他界すれば、誰一人としてその情景を共有できる人はいない。Kさんの弾き語りを2度と聞くこともない。




終戦

8月15日、終戦を迎えた日である。
終戦は情報がある程度伝わっていた地域の方々には、唐突なことではなく、広島や長崎の話(当時それが何であるのかをタイムリーに知る人は少なかったかもしれないが)を伝え聞いて、そろそろと思っていた人達もいたようだ。

私の母もそのひとりで、玉音放送を家でひとりで聞いていたという。

それから一番変わったこと。それは、夜、電球を黒い傘なしで点灯できる、サイレントともに明かりを消して逃げなくても済む、ということだった。

様々な思いはあると思う。母の兄も戦死している。

特攻機による攻撃が、その異常さの象徴とされている面もあるが、その方々は少なくとも空に飛び立って行った。想像する余地も能力もないが。人間魚雷回天で閉ざされた空間で特攻した方々もいらっしゃる。そもそも空気がない。どれだけ苦しく切なくやりきれなかったことかと思う。

最近。アニメ おじゃる丸のスペシャル編が放送された「わすれた森のヒナタ」という題名だった。出だしはいつもと同じ「まったり・ドタバタ」だったが、後半これが今時の若者への戦争のメッセージであることが明らかになる。

私が子供の頃、大人達は「戦争を体験した・しない」で、人の考え方をくくろうとしていた。
私が子供の頃、「戦争を知らない子供達」という歌がはやった。

どちらも、戦争に対する考え方が「それでいいのか」という日本人の自問自答であった。

今、自衛は防衛に、防衛は攻撃に変わることさえ厭わない風潮になっている。ひとたび初めてしまったら、それは取り返しの付かないことになるのを承知で、各国がパワー・バランスを保とうと、国費を費やしているのは愚かと言うしかない。

7月には「数十年に一度の災害を伴うかもしれない気象」と報道された気候は、今年から毎年ずっとそうなるかもしれない事であり、そうなれば戦争などしなくても、5年先には「外出禁止の夏」が訪れるようになるかもしれないのだ。

今一度、スマホの中の世界として認識されかけている、ゲームのような戦争の本当の姿が何たるかを若い方々に思い起こしていただきたいと思う。無論私は戦争を経験していないが、戦争を経験した方々の話を直接聞く事が出来た世代である。今後、このような世代交代が重ねられ、現実的な戦争の姿が薄れてゆく。

おじゃる丸「わすれた森のヒナタ」は、それを問いかける名作である。

広島 お好み焼きの思い出

関東地方は、暑かったりにわか雨だったり、地震があったりと、相変わらず不安定なもののほぼ無事。でも関西はひどいことになっている。

かつては年間を通じて穏やかなはずだった瀬戸内海地方もひどい状況で心が痛む。

丁度30年前の夏、私は自転車で明かりの付き始めた広島のビル群を右前方に見ながら、国道を自転車でゆっくりと走っていた。どこで寝ようか、を考えるよりも先にお腹が減っていた。

食堂らしき建物が見当たらないので、川幅10メートルくらいの橋を渡って左折して川沿いを南下した。少し行くとお好み焼きの店があった。

当時「広島のお好み焼き」というものがどれほどのものか、(自分が無知なため)全く知らなかった。

やれやれと店に入ると、店のおばちゃんが1人と、常連らしきおじさんが1人カウンターに座っていた。

「東京から来た」という話をすると、おじさんが「じゃあ、これが広島のお好み焼きってやつを腕によりをかけて作ってもらわないとな。」と言った。おばちゃんは、「うまく出来るかしら。」とちょっと自信なさげ。

とはいえ、食べてみると焼きそばが入った本当に美味しいお好み焼きだった。優しい味だった。

もう、どこでどの川を左折したのか覚えていない。いつか探して行ってみたいとも思うが、遠いし30年も経っている。そして今回の大災害。

どうか無事でいてください。

今週も疲れました

会社の健康診断で、要経過観察となり。。。3年目だが、一向に改善できず。要注意項目が複数になったので、定期的に担当の方に状況報告をしなければならなくなってしまった。

飲みすぎですかね。やっぱし。

洗車

今日は、私の大好きな車を洗おうと思っていた。でも、「やらなければ」と、思えば思うほど気持ちのハードルが高くなってゆく。たかが、洗車(私のは大したことしないですから)、ですよ。

朝8時から「待とう」と決心し、雨戸も開けない部屋で、横になって待つこと3時間。ようやっと、洗車が進行して終了するイメージが出来て、そのおよそ2時間でワックスまでかけて終了。

今年は、こんな風にしてもう3回も洗車している。昨年、一昨年は、それぞれ1回ずつくらいだった。車も古くなり、もともと中古で買っているし、多分新車登録は2005年か。

話し変わって。。2005年の排気ガス規制がどうだったのか知らないけれど、車の排気ガスによる大気汚染を語る時に、電気自動車がいいとか、ハイブリッドとか、何年の基準をクリアしているとか、そんなことしか話題にならない。これはおかしい、と、思う。

言いたいことは2つ。

・身近なところでは宅配便を初め、衣食住に必要なもの、はほぼ全て一度はディーゼルのトラックの荷台に乗っているであろうということ。乗用車の排気ガスを幾らきれいにしたところで、商用で使用しているディーゼル車の走行距離の比にはならない。自分の持っている乗用車だけ語ったところでたかがしれている。
・走行距離。例えば私はこの10年ほど、走行距離は年1000キロに至らない。もう、手に入れてから10年にもなるけど、まだ購入した時の走行距離から5000キロしか増えていない。走行距離を示すメーターはきっと操作できてしまうから、排気ガスの規制基準にはならないのはわかるけれど、大好きな車を私から取り上げないで欲しい。

以前、ディーゼル車に乗っていた時の風当たりは、まるで「大気汚染の権化」みたいな言われ方だった。2度目のNOx規制で15年乗った車を廃車にせざるを得なかったが、その当時もやはり年1000キロ。商用の大排気量のディーゼルはOKで、年1000キロしか走らない車が淘汰される。まあ、時代の流れだから仕方ないが。。

話は戻る。。きれいになった。良くやった。明日から会社か。まあ、適当にやろう。

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ぎゃび

Author:ぎゃび
いいおやじになってから「自閉症スペクトラム」と診断され、その後、その現実的な意味を知るにつけ愕然とする日々が続く。

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